「神さまの働きかけがあった」  06.01.22
                     使徒言行録12:1〜19

  イエスさまは、人間に開放と自由をもたらしてくださる方です。
 それは、単に行動や思想に制約を受けないといったことでは
ありません。イエスさまは「はっきり言っておく。罪を犯す者は
だれでも罪の奴隷である。」(ヨハネ8:34)とおっしゃいます。
 イエスさまは、人間を本質のところで縛り付けている罪と
死からの自由をもたらしてくださった救い主です。

 ペトロは、厳重に牢屋に縛り付けられていました。処刑され、
死を迎えるのを待つだけでした。そこから開放されることは、
考えられないことでした。
 しかし、天使が神さまから遣わされ、ペトロは開放されました。
 自由にされた彼は教会に行きました。ペトロが牢屋から解放
されたこの場面に、罪と死から解放された私たちの姿を重ね
合わせることができます。どちらの場合も、神さまの働きかけが
あって、死からの自由が起こったのです。

  さまざまな束縛を感じ、苦しんでいる人は、一見自由に
見える現代社会においても多いのではないでしょうか。
 心からの自由を求めて、うめき、暴れ回りますが、それでも
自由を得られないでいる人は多いように思います。
 「わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、
わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが
分かります。
 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」(ローマ7:23〜24)と
言われますように、罪の法則にとらわれている以上、人間は
惨めさを抱え続けるのです。
 しかし、「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、
罪と死との法則からあなたを解放した」(ローマ8:2)と語られます。
  イエスさまが十字架で死んでくださったのは、この開放を
もたらすためにほかなりません。

 
私たちは、罪と死から開放されて、神さまの永遠の愛と、
天国の命に連なる者とされている自分に気づかされるのです。
 そこに、惨めさでなく希望があります。
 ペトロの背後に、教会の祈りがありました。
 求道者や家族の救いを、いつも祈っている教会でありたい
ものです。